ウズベキスタン共和国ミルジヨエフ大統領
シャフカト・ミロモノヴィチ・ミルジヨエフは、1957年7月24日、ジザク州ザアミンスク区の医者の家庭に生まれた。ウズベク民族の出身。高等教育を受け、1981年にタシケント灌漑農業機械化技術大学を卒業。機械技師が専門。工学修士の学位を持つ。助教授。
1981年、タシケント灌漑農業機械化技術大学の学術員となり、その後、講師、助教授、教育担当の副学長を務める。
1990年、共和国最高会議の議員に選出され、資格審査委員会の委員長を務める。
1992年、タシケント市ミルゾ・ウルグベク区の区長に就任。1996年から2001年までジザク州の州知事、2001年から2003年までサマルカンド州の州知事として、上記の区や州の社会経済発展に大きく貢献した。
地方自治体での職務と並行して、1995年から2003年までウズベキスタン共和国議会の議員として、国の政治、社会・経済発展や民主改革の推進を目指す重要な法律の立案や採択に積極的に取り組み、成果を上げた。
2003年、ウズベキスタン共和国首相に就任し、2005年、2010年、2015年と3回にわたり議会の決定により首相に再任された。
ウズベキスタンの独立直後から初代カリモフ大統領はシャフカト・ミルジヨエフに大きな信頼を寄せ、ミルジヨエフは、カリモフ大統領の同志として献身的に仕事に取り組んできた。
大々的な社会経済改革の実施や国の近代化と刷新、重要な大規模プロジェクトの実施、私的所有権の推進と保護、小ビジネスと民間企業の割合の増加と法によるそれらの保護の強化などにおいて、ミルジヨエフは、首相として手腕を振るい、高い実施能力を発揮してきた。
ミルジヨエフは、自身の職務の中でも特に産業を基盤とした経済の発展や国の輸出能力の向上、農業分野の抜本的な改革、何より農家の繁栄や農産物の高次加工、国の食料安全の確保、国民に対する消費財の手ごろな価格による保障などに力を入れてきた。
国民の生活と労働環境の抜本的な改善を目的として、ミルジヨエフは、ウズベキスタンの各地域における建設や整備の大規模な事業や公共サービスの質の向上、市や区、特に農村地域の総合的な発展などに関する効果的な対策を講じてきた。
ミルジヨエフは、自身の活動の中で、社会・経済分野とともに、現代の要求に適った教育、学術、保健の発展、健全で調和の取れた優れた青年世代の形成に必要な環境づくり、母と子どもの保護の強化などを優先課題として重視してきた。
また、ミルジヨエフは、独特の自治組織であるマハリャやその他の社会団体の権威を向上させ、それらの組織を民主改革プロセスに広く巻き込むことによって、社会におけるその役割を徐々に強めていくこと、国民の精神的価値を守り、それをより増していくことなどにも力を注いできた。
経済や社会分野における課題への取り組みの中で、ミルジヨエフは、諸外国や国際機関、国際金融機関との全面的な相互互恵協力の強化や国の経済発展を促し、国民の利益に資する重要な協定の締結等に係わる案件においても直接指揮をしてきた。
2016年9月8日、ウズベキスタン共和国立法議会と上院議会の共同決議により、シャフカト・ミルジヨエフは大統領の臨時代行を務めることが決定した。
2016年10月19日、タシケントで開催されたウズベキスタン自由民主党第8回党大会において、ミルジヨエフを大統領選挙の候補者に推選することが決定し、12月4日に行われた大統領選挙において、当選を果たした。2016年12月14日、ミルジヨエフは正式に大統領に就任をした。
ミルジヨエフには、娘2人、息子1人、孫5人がおり、妻のホシモワは、工学・経済が専門で、現在は専業主婦。
地方自治体や国の機関において、長年に渡り多くの業績を残し、国の発展や国民の福祉の向上に尽力してきたことを称え、ミルジヨエフに、メフナト・シュフラチ勲章とフィドコロナ・ヒズマトラリ・ウチュン勲章が授与されている。