加藤九祚氏が逝去-ウズベク国民にとって大きな損失
有名な考古学者であり、国立民族学博物館名誉教授、テルメズ市の名誉市民、ドゥストリク勲章(友好勲章)の受賞者である加藤氏が9月12日、スルハンダリヤ州で逝去した。94歳だった。
ウズベキスタンに関する著作を多数執筆している加藤氏は、ウズベキスタンの親友であり、ウズベク国民を愛してやまなかった。加藤氏は、ウズベキスタンを第二の故郷と呼んでいた。
1960年代に初めてウズベキスタンを訪問して以来、加藤氏はこの地方の歴史に大きな関心を寄せ、日本とウズベキスタンの多角的な協力の活性化に取り組んできた。
加藤氏は25年以上にわたってウズベキスタン科学アカデミーやその他の学術機関と密接な交流を続け、数々のプロジェクトに参加。スルハンダリア州(ダルベルジンテパ、カラテパ、ホルチャヤン、ファヨズテパ)では発掘調査を行ってきた。加藤氏の熱心な活動については、ウズベキスタンの歴史の教科書でも紹介されている。
加藤氏は研究の成果として、「南ウズベキスタンの昔」や「ダルベルジンテパ遺跡」などを執筆しており、中央アジア地域における仏教の普及の歴史について語っている。そのほか、「ユーラシア文明の旅」や「中央アジアの偉大なる人々」なども上梓している。
また、加藤氏は日本においてウズベキスタンに関する多くのシンポジウムや古代のウズベク人の住居の模型や衣服、日用品などを紹介する展示会などを開催し、両国の相互理解の深化を促進してきた。
特筆すべきは、ウズベキスタンのカリモフ初代大統領が折に触れ加藤氏の学術的貢献に言及していたということである。2014年5月15‐16日にサマルカンドで開催された国際会議「中世における東洋の学者、思想家の歴史的遺産とその役割及び現代文明にとっての意義」において、カリモフ初代大統領は加藤氏が中央アジア地域のきわめて偉大な研究者でり、その学術的活動は中央アジアの歴史や民族学、考古学、芸術等の多くの知られざる新たなページを開いたと指摘している。
また、カリモフ初代大統領は「加藤氏のシルクロードやバクトリアに関する研究、1989年からスルハンダリヤ州のダルベルジンテパ遺跡とカラテパ遺跡で行ってきた発掘調査、アミール・チムール、バブラ、ウルグベク、その他の偉大な思想家たちの著作の和訳などによって、我々の広大な地域の歴史と文化に関する知識は世界的な財産となった」と強調している。
加藤氏はウズベキスタン初代大統領から受けた支援や配慮に対して常に感謝の意を表し、ウズベキスタンには学術研究のための大きな可能性があり、学者にとってすばらしい環境が整えられていると語っていた。
「私は日本人であるけれども、ウズベキスタンは第二の故郷であり、ウズベキスタンの名誉市民であることを誇りに思っています。尊敬するカリモフ大統領は私の微々たる活動を高く評価してくださり、ドゥストリク勲章を授与してくださいました。我が人生をこのすばらしい地で過ごせたことは大変光栄であり、幸せです」と加藤氏は強調していた。
ウズベク国民の貴重な歴史文化遺産の研究とウズベキスタンと日本の実りある関係の発展に対する加藤氏の多大なる貢献は、ウズベキスタンに黄金の歴史として残り、加藤氏の著作は今後何世代にもわたって世界中の学者たちの関心を集め、学ばれていくことであろう。
IA "JAHON"
Uzbekistan Embassy in Japan